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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動レポート

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スタッフ日記(18)-映画『ふるさとをください』-

ふるさとをください.jpg


今日はenokiが小田原市保健センターで上映されていた『ふるさとをください』という映画を観てきました。かれんさんがちらしを持って帰ってきて、「ぜひ観たい」と言っていて、すごく気になっていたのです。

ふるさとをください』(脚本:ジェームス三木)という映画は、ある町に精神に障害のある人たちが集団で引越して共同作業所を開いたことが発端となってストーリーが展開していきます。障害者が町で生活をし始めれば治安が悪くなると、町の人々は警戒し、反対運動を起こします。話し合いの場が設けられるも妨害に遭い…住民と共同作業所の間に理解が生まれるのか。

作業所の所長に向けられた「何か事件が起きたら誰が責任を取る?」「あんたはここの住民ではない。」という言葉が、心を刺す思いでした。誰もが心の拠り所である“ふるさと”を持たずには生きていけないのだと思います。『ふるさとをください』という題名に込められた意味の深さが映画の後半でわかります。

また、精神障害を持つ人と作業所を受け入れる住民との対立軸のほかに、精神病院の入院生活から抜け出した後に待ち受ける現実、統合失調症という病気の概要、精神障害を持った人同士の結婚へのハードル、さまざまな問題が、この映画には織り込まれていました。

映画上映の場所で、地域作業所の方たちの販売ブースが出ていました。綺麗な色の七宝焼きでできたペンダントヘッドを購入。
統合失調症の疑似体験ができるブースにも立ち寄りました。映像を観ながらイヤホンから流れる知らない人の声。「ぐずぐずするな」「もっと悪いことがあるぞ」という幻聴に、バーチャル体験だとわかっていても、胸が苦しくなり、思わず途中でイヤホンを外してしまいました。

七宝焼きペンダントヘッド.jpg


人間は常に精神状態が一定ではありません。ただその揺れ幅が大きくなりすぎると、精神のバランスを崩してしまい、病気として発症してしまいます。統合失調症の生涯発病率は約0.85% (120人に1人) だとも言われています。まれな病気ではないということです。
統合失調症は早期に発見し、治療すれば日常生活を送れるほど回復すると言います。幻聴幻覚によって精神をコントロールできず、暴力的な行動に出ることがあるため、警戒されてしまいがちですが、きちんと治療をし、回復した人たちを受け入れる土壌がなければ、いつまで経っても社会復帰の機会を失ってしまいます。

普通に生活できていると思っている私でも、いつも気持ちが安定していることはなく、上下、揺れています。揺れている私たち…
発病した人と私は実は隣同士に立っていて、別世界でもなければ、他人事でもないのだと感じました。手を伸ばして、一緒に生きていければと思いました。
enoki
オトコマエ
今日はプレゼント用の紙袋をぶら提げて歩いている方が多いな、と思っていたら、ホワイトデーなのですね。
今年のバレンタインデーでは“逆チョコ”というのが流行り、女性から男性へプレゼントをするのではなく、男性から女性へチョコレートを渡す、という現象があったようです。もしかしたらこれからは“男性”“女性”という性別に関わるイベントなどにも変化が出てくるのかもしれませんね。

私が仕事をしている姿を見て、友人から「男みたいだ」と言われることがあります。その「男みたい」の“男”が何を示しているのかはわかりませんが、きっとなりふり構わず集中してしまっている姿が男のようと言われるのでしょう。
先日、新聞記事で「オトコマエ」についての記事が載っていました。女性が女性に対して口にする「オトコマエ」は外見より中身に向けた言葉なのだと書かれていました。「オトコマエだねぇ」と、私もよく言われます。何を以ってそう言われるのでしょう・・・

「オトコマエ」は古より男性的とされてきた心意気がある、というイメージなのではないかな、と感じています。決断力があり、責任感があり、弱音を吐かず、弱きものを助ける男、そんな男性像が「オトコマエ」という言葉に込められている気がします。
その「オトコマエ」が女性に対して使われている今、それだけのパワーを持った女性が世の中で活躍しているということなのだと思います。
私も、女性として持って産まれてきた感性と、「オトコマエ」な部分と、両方のバランスを大切にしながら、懸命に働いていきたいと思っています。
金太郎の力水
先日、完成したばかりの南足柄市地蔵堂の夕日の滝広場にある「金太郎の力水」に行ってきました。
昔ばなしで読んでもらった『金太郎』。その金太郎が産湯に入ったといわれる夕日の滝の近くに「金太郎の力水」があります。

金時山からの地下水は地元の人たちの水道水として供給されていたそうですが、湧出量が多いため余剰分がそのまま沢に流されてしまっていたのだそうです。その湧き水をもっと有効活用できないかということで、観光にも繋がる「金太郎の力水」と名付けた水飲み場が完成したとのこと。
私もさっそく飲んでみましたが、まろやかで優しさのある美味しい水でした。

金太郎の力水.jpg


原水は岩壁から湧き出す水だそうで、1リットルあたり30マイクログラムのバナジウムが検出されたのだとか。美味しい水で観光客の喉を潤し、新たな観光へのPRになればと思うと同時に、地元の方たちは水道の蛇口をひねってこんなに美味しい湧き水を普段から飲まれているのだと思うと、羨ましく思いました。

都心に住む友人などは、水を“買って”いると言います。若い世代を中心にスローライフ嗜好の動きは広がっています。自然の豊かさが残るこの場所を「住み心地」の観点からもPRできるのではないかと感じました。
田口八重子さんの家族と金賢姫元工作員が面会

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今日、拉致被害者である田口八恵子さんの兄飯塚繁雄さんと、息子の飯塚耕一郎さんが、金賢姫元工作員との面会を果たしました。

これまでは韓国政府の打ち出してきた融和政策の一環で、日本の拉致被害者と金賢姫元工作員が接触する機会が許されませんでしたが、李明博政権となり対北政策に厳しい態度で臨む方針の中で、今回の面会が実現されたのではないかと言われています。

日米韓の三カ国間で、共に協力し合って対処していかなければならない問題のひとつは、対北朝鮮政策であると考えています。北朝鮮問題の中には、拉致問題、核問題、人権問題などさまざまな課題が含まれています。
中には、「拉致より核が優先課題」だと主張する方もおられます。数名の日本人の拉致問題に執着し、北朝鮮との関係悪化を招くのは得策ではない。ミサイルが飛んできたら国民全員が危ない。などという理論で語られる場合もあります。

しかし、私は拉致問題も核問題も“包括的”に“毅然とした態度”で臨むべき問題であり、核の脅威を恐れて拉致問題を棚上げするようなことがあってはならないと考えています。
北朝鮮の工作員によって日本人が袋詰めにされ、船の底へ投げ込まれ、見知らぬ国で家族と引き離され・・・それまでの生活を一瞬にして奪われ、北朝鮮の監視下の元での生活を余儀なくされた日本人拉致被害者の方々を、“奪還”しなければなりません。
それは言うまでもなく“お金”を出して、“何人かください”ではなく、“毅然とした態度”で“全員返しなさい”と言うことです。

拉致被害者家族会の講演会に行った際、田口八重子さんと1歳で母親を別れることになってしまった息子の飯塚耕一郎さんが「お母さんと呼ぶのに違和感があり、八重子さんと呼んでいた」とおっしゃっていました。お母さんと呼ぶには、記憶もなく、想い出もない母の存在。
今日の面会で、金賢姫元工作員から、写真でしか知らない自分のお母さんの顔と「似ていますね」と言われたとき、耕一郎さんはどのような気持ちだったのでしょうか。
「お母さんは生きていますよ」という言葉を信じて、「お母さん」と呼んで抱きしめ合える日が一刻も早く訪れるよう、政府は総力を挙げて拉致問題の解決へ向けて働いて欲しいと願っています。

今の私にできることのひとつとして、かれん'sルームではブルーリボンバッヂの取次所として、バッヂの普及に努めています。救う会から500円で買い取り、そのまま1個500円で販売しています。
ぜひお立ち寄りください。
応援メッセージ(クリストファー・アータートン氏より)

応援メッセージ.jpg


2000年の大統領選挙の研究のため、首都ワシントンにあるジョージワシントン大学の大学院に入学しました。
専攻のポリティカル・マネージメント大学院の修士号コースは当時では唯一、政治のマネージメントを学べる大学院で、今でもこの分野で先駆的役割を果たしています。
クラスでただ一人の日本人学生でしたが、国を越えた政治の重要性を学ぶことができたと実感しています。
大学院の長であるアータートン教授から応援メッセージを頂きました。
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アータートン教授.jpg


牧島かれんさんが日本の衆議院選挙に出馬する決意をされたことを、大変嬉しく思っています。ジョージワシントン大学ポリティカル・マネージメント大学院一同、かれんさんが政治を通じて変化をもたらすことのできる人物であると自信を持っています。
そしてかれんさんは社会を前進させるためにいかに政治が重要であるかもわかっています。ご健闘をお祈りしています。

Christopher Arterton, Dean
Graduate School of Political Management
The George Washington University

ジョージワシントン大学ポリティカル・マネージメント大学院院長
クリストファー・アータートン
第22回尊徳マラソン
昨日は、小田原アリーナを出発点に第22回尊徳マラソンが開催されました。
準備を担当されている役員の方から、雨が降るとランナーだけでなく大会整備のスタッフも大変だというお話を伺っていたので、天気が心配でしたが、なんとか持ち堪え曇り空の下、大会がスタート。
今年は過去最高の2000人超のランナーの方々が参加なさいました。

尊徳マラソン スタート地点にて応援.jpg RUN RUN.jpg


尊徳マラソンは、ランニング大会100撰にも選ばれ、全国各地からランナーの皆さんが訪れてくださいます。参加ランナーの地域の幅広さもさることながら、年齢層も広く、今年は古希ランナーも参加されたと伺いました。スタート地点で応援もさせて頂きましたが、女性のランナーも多いですね。

尊徳マラソンが人気なのは、霊峰富士を仰ぎながら酒匂川の清流を楽しめるという自然の魅力があるからだと思います。
同時に、「タイムがきちんと記録できる」というのも人気要素のひとつのようです。この大会には「RCチップ」が導入されているとのこと。RCチップはランナーのマラソンタイムを計測してくれるチップです。参加ランナーが多いと、スタート地点での立ち位置が前方か後方かによって大分タイムがズレてきてしまいます。そのズレを解消するのがRCチップなのだとか。
大きさは500円玉ほどで、重さ3グラム。RCチップを靴紐に括り付けたランナーがカーペット状のアンテナを通過すると、アンテナから発射された電波がチップのナンバーを読みとり、タイムを記録します。このシステムによってスタートラインの通過時間、5キロ、10キロなど各地点の通過タイム(スプリットタイム)、フィニッシュタイムが瞬時に計測されるようになったのだそうです。

全国各地でマラソン大会は開催されていますが、参加目的は人によってさまざまです。健康のために走っている方も、各地の大会に参加しマラソンタイムの更新を目標としている方も、かつて選手だったランナーも、いろいろな方がいらっしゃいます。
その幅広いニーズに応えるためにも、選りすぐられたコース設定やタイム管理の工夫が行われているのだと感じました。

ランナーにとって“記録”にも“記憶”にも残る大会として、来年は富士山が顔を見せてくれることを願っています。
スタッフブログ(17)―ライムチェア―
まちえんのブログを見てから、ずっと気になっていた「ライムチェア・プロジェクト」が今日、ポケットパークで行われると知り、チームかれんのyumiとenokiが出かけてきました。
この「ライムチェア・プロジェクト」は、小田原まちづくり応援団が呼びかけて実施されました。
家で使われなくなった椅子を持ち込み、その椅子をライム色にペンキを塗ってライムチェアへ変身。そのライムチェアを“まちの椅子”として店先などに設置するプロジェクトだそうです。ライムチェアでまちをリビングルームにしよう。というキャッチコピーも素敵です。

ライムチェア ポスター.jpg 子どもも楽しそう.jpg


かれん'sルームの前にも、小さなベンチがありますが、おじいさんおばあさんが休憩したり、買い物帰りのお母さんが荷物を整理する場所として利用されています。時には、チームかれんが植えた花壇をゆっくり眺めてくださる方もいらっしゃいます。そんな様子を見ていて、“まちの椅子”の大切さを感じていました。

朝の駅でのご挨拶をしていても、バスの停留所などで、一時間に数本しか来ないバスを待つのに、椅子が設置されていないため、おばあさんが重い荷物を持ったままずっと立っていらっしゃる姿を見たことがあります。前にテレビで道路交通法との兼ね合いで椅子を設置できないバス停もあると聞いたことがありますが、“まちの椅子”は高齢者にとっても、必要なものだと痛感しています。

そのような意味でも、カラフルで綺麗なライム色の椅子がまちに置かれることは、とても嬉しい企画です。また実際にペンキ塗りに参加してみて感じたのは、子どもから大人まで“みんな”で“気軽に”かかわれる“楽しさ”でした。

広い面積を塗るのは気持ちいい.jpg 細いところを塗るのは難しい.jpg


「女性は塗るのには慣れてるのよねー。ファンデーションでシワ隠すみたいにー」などと、その場で出逢った人たちとお話しながらペンキ塗りをしていると、自分も何かにかかわっているという充足感を感じることができました。
参加していた子どもも塗り終わった後に、「できたー」と満足そうに笑っていました。
このプロジェクトは今日で終わっても、椅子が設置された後も、椅子と私の関係が“つづく”のも魅力です。
yumiとenokiが塗ったライムチェア(136)は一体どこに置かれて、どんな人を癒すのでしょうか。わくわくする。

顔みたいにしてみる.jpg アートのよう.jpg


enoki
スプリングコンサート
近所の街角でスプリングミニミニふれあいコンサートが行われているという話を聞き、お邪魔させて頂きました。
暖かな日差しの中、大人と子どもが一緒になってコンサートを創り上げていました。
演奏だけでなく、交代で指揮をしたり、みんなで音楽を楽しむ空間がそこにはありました。
楽器に直接触れて奏でてみる、祖父母世代の方とも同じグループになってメロディーを生み出す。

ミニミニコンサート.jpg


音楽を通じて人との繋がりを体験することができ、子どもの情操教育にとても必要なことだと感じました。
芸術が子どものこころを育てる所以はそこにあると思います。

私が小さい頃、母はピアノやエレクトーンの先生をしていました。
レッスンをするために外に出掛けてしまい、祖母と留守番をしながら、もっと甘えられたら・・・と寂しく思ったこともありました。
しかし、家にはいつも音楽が流れていたような気がします。
生徒さんが奏でる少したどたどしい『エリーゼのために』や、母が弾く、よくわからないけれど綺麗な旋律のクラシック音楽。
その音楽が、私のこころを育ててくれたような気がします。

文部科学省によって2002年4月から、小・中学生に道徳の副教材として「心のノート」が配られています。この本は道徳教育の一環として予算が充てられていますが、実際の教育現場では使われていないのが現状だという話を聞いたことがあります。

もちろん、子どもの道徳的情操や、美的情操のために、政府が政策をとらなければならないのは事実です。
しかし、教材を使って教育をするより、地域やコミュニティーの中で、一緒に音楽を奏でたり、絵を描いたり、体を動かして体験することで育つ感情やこころがあると思います。
そのような“機会”を用意することが、大人や政治の役割だと感じています。
ランドセルの色
牧島かれんのテーマカラーはピンク色です。
ポスターや宣伝カー、チームかれんを見かけたことがある方はわかって下さるかもしれませんが、明るいピンク色を使っています。チームかれんのピンク色を見かけたら、ぜひ気軽に声を掛けてくださいね。

最近、朝の駅でのご挨拶をさせて頂きながら気になっているのは、通学中の子どもたちのランドセルの色。可愛らしい後ろ姿を、ちょっと撮らせて頂きました。今はいろんな色のランドセルがあるんですね。前に新聞で、最近のランドセルの人気カラーは男女共に「水色」だというのを読みました。それ以来、小学生のランドセルの色が目につくようになりました。男の子だから黒、女の子だから赤、と決められているのではなく、女の子でも黒いランドセルでシックに決めていたり、パステルカラーだったり・・・ランドセルの固定概念が覆されました。
今の子どもたちは、なぜか昔から脈々と続いていた、“ジェンダーと色”の結びつきに捉えられず、自由な選択をしているような気がします。

ランドセルの色.jpg


ジェンダーだけでなく、ブルーカラーやホワイトカラーなど、“職業と色”、お姉さんはブルーで妹はピンクなどという“年齢と色”の結びつき。そう言えば、色違いのパジャマは、私がブルーで、妹がピンクだった気がします。

色と「何か」の結びつき。これからの子どもたちは、そんな結びつきに捉われず、当たり前のように多くの選択肢の中から何かを選び、自由の中で生きていくのだと思います。
入学式に向けて、色とりどりのランドセルが街を賑やかにしてくれるのを楽しみにしつつ、固定概念にこだわらない子どもたちが、多様な価値観の中で明るい未来を創ってくれることを願っています。
開港150周年
「未来に残そう青い海」マリンイベント実行委員会の顧問をさせて頂いている関係で、3月2日に行われた横浜函館開港150周年を記念した交流イベントに出席しました。
セレモニーは函館からやって来た“ナッチャンWorld”という時速46ノットで航海する双胴型高速船の中で行われ、懇親会なども開かれました。

マリンイベントにて.jpg ナッチャンWorld.jpg


今もそうですが、私はずっと海の近くで育ってきました。小さい頃、あの海の先はどこまで続いているのだろうと想像を膨らまし、海は世界と繋がっているのだと知ることができました。
かつての人々も海に魅せられ、外に飛び出して冒険をし、そして大陸が発見されたのだと思います。
海は無限大の可能性と好奇心を私たちに抱かせてくれます。

150年前、日本は鎖国を解きました。それを機に、交易が生まれましたが、外国から入ってきたのは品物だけではなく文化や風習もありました。視野が外へ広がったことで、私たちは異なる文化を知り、異なる人たちと触れ合う場を得ました。

そして異文化交流と多様な価値観を有するようになった今、私たちは海を繋いで、未来へ向けて環境問題など共通のメッセージを発信していかなければならないと考えています。
雛祭り

雛人形をみるかれん.jpg


私が産まれて初めて迎える雛祭り。父は大喜びで雛人形を買ったそうですが、近年忙しく飾れないでいます。
雛人形を仕舞うのが遅くなると婚期が遅くなるというのが通説になっていますが、箪笥の中で私の雛人形は無事なのでしょうか・・・

今日は「ひなまつりフライト」と銘打って、機長以外の整備から操縦までの全てを女性が務める飛行機が空を飛びました。いろいろな分野で働いている女性たちのことを知ってもらえるのは嬉しいことですね。

ある飲料メーカーが今のお母さん世代と子ども世代との雛祭り事情を比べる調査を行っていました。
その中で、お母さんが子どもだった頃より、今の子どものほうが、雛祭りの装飾関連が減少し、家族での食事会や記念写真をするなどの、コミュニケーションや思い出重視になってきたという現状が見えてきました。
そして、雛祭りの食事を「どこで」祝うか、にも少しずつ時代の変化があらわれ、お母さんが子どもだった頃は、「自宅」で祝っていた割合が94.4%だったのに対し、そのお母さんの子どもになると80.1%と減少。その代わり、「実家」で祝う家族が14.7%と増えたことがわかりました。
つまり、今のお母さん世代には、自分が子どもだった頃と比べて、子どもを連れて夫や自分の実家でお祝いする人たちが増えているということです。
雛人形を「飾る場所」についても、「自宅」は96.5%→92.6%に減少。対して、「実家」が3.3%→7.2%と増えています。
お母さん世代と、その子ども世代におけるこのような変化は、少子化によって祖父母も交えての交流を重視する傾向と、核家族化が進み、人形を飾ったり仕舞っておくスペースが確保できないという住宅事情も反映されているのだと思います。

私も、小田原に住む前までは、母の母の家で家族5人で一緒に住んでいました。私と妹の雛人形は、祖母の部屋の押入れに仕舞われていて、雛人形を出すときは、祖母も母もみんな総出でわいわいおしゃべりをしながら、時には私が小さかった時の昔話を聞いたりしながら飾ったものでした。

ひなたぼっこ中のお雛様.jpg 吊るし雛.jpg


今年は雛人形を出す時間がとれなそうなので、かれん’sルームのご近所で「おひなさまのひなたぼっこ」と称して、各店舗で飾られているお雛様の展示を拝見したり、瀬戸屋敷の雛人形を見に行ったりしました。

3月3日の雛祭りは、日本の風習ということだけでなく、雛人形を飾ることで家族や地域に温かな会話や交流を生み出し、子どもの健やかな成長を願う親の想いが伝わる素敵な日なのだと思います。
年金の勉強会
昨日、河野太郎先生の平塚事務所にて、年金の勉強会を開いて頂きました。
言うまでもなく、社会保障制度は今後の日本にとって重要な課題です。
ご年配の方からも若い世代の友人からも「年金が心配」、「ちゃんと払ってきたのに、もらえないと困る!」という声を聞きます。
私なりに勉強をし、どのような制度に作り変えるべきなのか考える中で、年金問題のスペシャリストである河野太郎先生を訪ねました。

河野太郎先生と年金の勉強会①.jpg 河野太郎先生と年金の勉強会②.jpg



河野先生他、超党派による年金制度改革に関する提言でも、今の年金作業の抜本的な改革が必要ということが主張されています。
具体的には

■基礎年金(70000円)
■積立保険料比例年金(現役時代の積み立て+利子)

という二階建てのシステムに組み替える必要があります。
基礎年金については消費税を財源とし、積立ての部分については、個人でいくら積み立てると決め、年金口座にその人が積み立て、その人が運用する形になります。そうすれば、今のような将来一体いくらもらえるのか不透明な状態を、きちんと自分で管理把握できるようになります。

今の年金制度の一番の問題は、「不公平感」と「不透明感」だと思います。
結婚した相手(夫の仕事)によって、年金の支給額が変わってくる、不公平感
仕事をしている女性か、主婦かという職業によって負担額が代わってくる不公平感
どんな方法で年金制度が運営されているのかを、私たち国民がはっきりと理解できない不透明感
いくら払って、いくらもらえるのか、将来的にわからない不透明感

生活の安定が恒久的に守られるべき年金制度が、私たちにとって一番わかりにくいシステムの元で管理されていることが大きな問題です。
また、そのわかりにくいシステムを維持するために、膨大な税金が投入されている現実があります。
年金システムを再構築する時が来ていると思います。
ご卒園・ご卒業、おめでとうございます
あっという間に3月に突入しました。
今日、ご卒園やご卒業を迎えた方たちもいらっしゃると思います。
おめでとうございます。

卒業は終わりではく、始まりである。
これは、ジョージワシントン大学院の卒業式で私が感じたことです。
ポリティカル・マネージメント大学院の卒業式で、院長が卒業お祝いのスピーチの中、分厚い冊子を床に次々と投げていきました。
その冊子にはワシントンで活動している議会関係者、シンクタンクの連絡先が収録されています。

先輩たちが築いてきた世界には確かに歴史があるが、動じることなく、胸をはって自分の意見を述べるようにとの意味が、そこには込められていました。
同時に私たちはその院長のスピーチで、自らが主体的に思いを発信していく勇気と、それだけの学びは積んできたという自信を得ることができたのです。
また毎年、共和党・民主党の核をなす人物が交互でスピーチにいらした事も強く印象に残っています。CNNのコメンテーターや大統領選挙のコンサルタントなど、さまざまな分野で活躍している方たちのパワフルなスピーチは、これから飛び出していく社会への希望を感じさせてくれました。

今までの慣れ親しんだ場所を巣立つとき、寂しさと不安はあると思いますが、自信を持って、堂々と新しい世界へ一歩、踏み出して欲しいです。
その一歩先の世界に希望が持てるよう、私も精一杯頑張っていきます。
スタッフ日記(16)
―女性の感性で創るもの―

どのような分野においても、男性と女性、性別による物の見方や考え方の違いはその取り組み方に反映されるように思います。女性の社会進出が進んでいる現代とはいえ、業種によっては差があるのが現状です。女性の進出が始まったばかりの分野では、大きなチャンスがあると言えるのかもしれません。新しい世界が広がり、大きな刺激となるはずです。

2月25日(水)、チームかれんは小田原ラスカで開かれていた「木のWAZA展」を訪れました。小田原や箱根地域の木工職人の方々が作られた寄木細工や漆器の、いわゆるオーソドックスな伝統工芸品から、現代的な作品まで多数展示されていました。

寄木細工.jpg


先日、東京の上野に行った際、アーツ&クラフツ展を観覧した私は、今回の「木のWAZA展」に相通じるものを感じました。産業化・工業化が進む19世紀後半のイギリスで、失われた手仕事の良さを見直し、自然や伝統に美を再発見しようと興った運動から生まれた芸術的な実用品の数々。私たちが生きる現代において、そのような取り組みは決して真新しいものではありませんが、今なおその運動に新鮮味を覚えるのは、第二の「アーツ&クラフツ」運動を私たちがどこかで望んでいるからかもしれません。

過剰な装飾ではなく、シンプルな美しさ。精緻で洗練された芸術作品。「木のWAZA展」に展示された数々の作品の中でも、私たちチームかれんの心を惹きつけたのは、若き女性職人が手がけた作品と産学官提携プロジェクトによる女子美大生と小田原箱根寄木職人とのコラボレーション作品でした。
寄木細工の腕時計や流線的なかんざしなどの作品には若い女性ならではのアイディアや遊び心、柔和さがあり、伝統工芸の際限ない可能性というものを肌で感じられました。

職人と女子美大生のコラボ.jpg


19世紀後半のイギリスで興った「アーツ&クラフツ」運動にはおそらく利用されてなかった女性の力というものが、私が観た「木のWAZA展」にはありました。

牧島かれんが目指す、政治の世界にも通じる必要なものがそこにはあったように思います。

Yumi
地域作業所
南足柄市役所で開かれている「第2回 ちいき・ふくし博 開催」にチームかれんがお邪魔してきました。

市役所での展示作品.jpg


私自身もさまざまな地域作業所の方からお話を聞く機会がありますが、障害者自立支援法の施行によって従来の活動維持が難しくなっている現状を伺っています。
ハンディを持っている方々が社会の中で共に生きていくことが当たり前の世の中でなければなりません。しかし、誰もが社会の中で何不自由なく生活できることが当たり前だという前提で政策や法律を作ることは実情を反映したことにならないと思っています。

前の活動レポートでも書きましたが、障害者自立支援法の一番根幹にある問題点は、社会においてハンディを持つ人たちを受け入れられる環境を整える前に、「自立」との名目で、ある種世の中へ「放り出す」形になっている点だと考えます。

また身体障害のみならず、精神障害や知的障害、発達障害についても真剣に取り組まねばなりません。学習障害の支援も急務であり、少人数でも特別学級が開けるような働きかけをしていきたいと考えています。

ハンディの有無にかかわらず、社会の中でそれぞれの居場所をみつけ、誰かとの関わりを持ちながら生きていくとき、人はその人らしく過ごせるのではないでしょうか。そして、その居場所のひとつが地域作業所なのだと思います。
例えば、「人とうまく付き合えない」などの悩みを抱える人たちが通う地域作業所によるアンケートで、「通ってみてどうでしたか?」という質問に、「社会とのかかわりが持て、自信ができた」「気配りができるようになった」「意見を言えるようになった」などの回答がありました。これは、作業所での活動の中で、少しずつ自分を表現できるようになった表れだと感じました。

一方で、地域作業所の作業にはいわゆる単純作業が多く、ひとりひとりの個性を活かした作業をすることが難しいという悩みを作業所の職員の方から聞いたことがあります。
袋に何かを詰めたり、ごみの回収で集められた資源を分解したりという、延々と続く作業。リサイクルは大事なことですが、雨が降った回収日に集められた濡れた資源を分解する作業は大変な苦労です。体は動くにもかかわらず、人と交わらず機械的作業を行うことで、精神的充実を得ることが難しいという面も指摘されています。

身体的・精神的なハンディの有無に関わらず、包括的にサポートする大枠の制度の中で、対応はあくまで個別具体的に進めなければならないと考えています。
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