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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動レポート

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小田原大集会
本日は、小田原市民会館にて「小田原大集会」を開催させて頂きました。
1階2階とも満席。2000人近い方にお集まり頂きました。
ロビーにスクリーンを出して、立ち見をして頂くこととなり、ご不便をお掛け致しましたが、皆様の応援と熱気で、牧島かれん、パワーを頂きました。
心より御礼申し上げます。

小田原大集会.jpg ロビーにて.jpg


いつも皆様にお支え頂いていることは心に刻んでおりますが、改めて一人で戦っているのではないということを痛感致しました。

今日は河野先生が衆議院議員として、小田原での最後のご挨拶になるとのこと。
河野先生を永きに渡り、ご支援された方々にとっては、特に本日は感慨深い日であったと思っています。
それだけの重圧を背負い、しっかりと襷を受け取り、真っ直ぐに走っていきます。
河野洋平衆議院議長からは、しっかりと日本のために働くこと。平和を守り、民主主義を守り、共生して生きていくよう、激励を頂きました。
また、河野太郎代議士からは、国会の恐竜ではなく哺乳類として日本の建て直しのために一生懸命働けるように、と応援を頂きました。

鬨の声.jpg 握手.jpg


私は一人ではありません。
皆さんと一緒です。
明日からも元気に頑張って参ります。
『政治は「歌」になる』が出版されました
2004年7月27日。
私は、バラク・オバマが上院議員の候補者として基調演説を行った民主党大会を、NHKワシントン支局で、スタッフのひとりとして見ていました。
彼が、あのとき、あの場所で、あのスピーチをしたことで、すべてが始まったのです。
「時代は変わる」、そう思いました。

さかのぼること3年。
2001年1月20日、私は中継班スタッフとして、Voice of America(国営短波ラジオ放送)のルーフトップで、新任の第43代ジョージ・ブッシュ大統領が演説する姿を見ていました。
民主党候補のアル・ゴアとの決戦が最後までもつれ込んでの辛勝でしたが、ワシントンはやはり興奮のるつぼの中にありました。
人びとは、大統領就任演説に、子どもを連れ、孫を連れて集まっていました。
「アメリカの歴史に参加している」「歴史的瞬間に立ち会っている」という意識がそこにはあるのです。

しかし、こんなこともありました。
大統領就任式の夜、ワシントンでは祝賀パーティーが至るところで行われるのが通例で、ワシントンのホテルはパーティー一色になります。
私も、ジョージワシントン大学が開催しているパーティーに顔を出しました。
まさにその途中で、通りすがりの男性から、「ちぇっ、パーティーに行くのか」と唾を吐かれたのです。

民主党のゴア候補との得票差が伯仲し、集計作業をめぐってゴア陣営から裁判に訴えるという異例の事態となり、不明朗な当選という印象が強かったことで、新しい大統領の就任で、あたかも国が分裂したような雰囲気になっていたのです。
その後のブッシュ政権とアフガニスタンとイラクでの戦争を考えると、いま思えばなにかを暗示しているような出来事でした。

そして2008年。
「オバマ旋風」は、まったく逆の現象を生みました。
「国民がひとつになろう」
「新しい政治をつくろう」
という意識がアメリカ国民にみなぎっていたのです。
ブッシュの就任からオバマの出現。
対照的なふたりの大統領候補と、そのリーダーシップ。
大統領制度という仕組みを越えて、私たち日本人が政治を読み解くカギは何なのか。

博士論文として発表した『レトリカル・リーダーシップとアメリカ大統領―政治的コミュニケーションとその制度化―』を、書籍用に書き下ろし、『政治は「歌」になる』を出版致しました。

政治は「歌」になる.jpg


かねてから研究してきた内容を、書籍という形にし、広くお伝えしたいと思っていた折、自らが政治の道を志すこととなりました。
政治を研究する分野から、実践する分野に身を置くこととなりましたが、これまで研究してきたことに基づいた自分自身の考えを、今こそきちんとお伝えすべきだと思い、出版の運びとなりました。
このタイミングで発表することができたのも、多くの方のお支えのおかげです。

政治は言葉であり、その言葉が人々の心に響いたとき、政治は「歌」となります。
ひとりで歌うのではなく、みんなで。
みんなで共に未来を描く歌を歌いたい。
そう思っています。
ぜひ多くの方に『政治は「歌」になる』を読んで頂き、感想などをお聞かせ頂ければ幸いです。
湯河原大集会
昨日、今国会の解散日程と、次期衆議院選挙の投開票日が決定しました。
折しも、湯河原大集会を開催する日に発表という運びとなり、湯河原・真鶴をはじめとする多くの方々にご参集頂きました。

湯河原大集会.jpg


お暑い中、階段で3階までお越し頂かなくてはならないのにもかかわらず、お集まり頂いた皆様の顔を見て、大変心強く、また勇気を頂きました。
これからも、変わらず丁寧に活動を積み重ねて参ります。

スタッフ日記(26)-臓器移植問題-
すっかり夏になりました。
かれん’sルームで育て始めたトマトも日増しに赤くなっていきます。
植物も大地のエネルギーを受けて生きていることを感じる今日この頃です。

明日、参議院の本会議で臓器移植法改正3案が採択されます。
A案、E案、A’案、それぞれが脳死の定義、臓器提供年齢が異なり、私のような、未婚で子どももいない、臓器移植を必要としている親族がいない女性、という立場から見ると、どの案にもそれなりの説得力を感じます。

法律で「死」を規定することの難しさを感じながら、私は一連のニュースを見ています。
朝の駅立ちをしていた時、聡太郎ちゃんを救う活動をされている方から、ちらしを頂いたことがあります。何とかして救ってあげたいと思いました。わざわざアメリカまで行くために、時間をかけ、募金を集めて、リスクを背負って渡米しなければならない制度に苛立ちを感じました。
できることなら日本で手術を受けさせてあげたい、そう思いました。

しかし、脳死状態にいる子どもの爪や髪の毛が伸びたという話を聞くと、やはり脳が死んでいたとしても体が温かければ、いつか目を覚ますような気がしますし、そこに願いをかける家族の気持ちも想像できます。
もし自分に子どもが産まれて、脳死状態になったとしたら、私は臓器の提供に踏み切れるのか、自信がありません。

そんな悶々とした思いを抱えながら、生命倫理の研究をなさっている方とお話をしたことがあります。
どの案を採択するか、ということとは別に、臓器移植の問題と日本人のメンタリティーの問題は綿密に絡み合っているのではないか、とのご指摘がありました。

臓器移植をして生命を回復した人に対して、私たちはどのような感覚を抱くのか。
それが子どもであればなおのこと、手術の成功を喜び、元気に成長していくことを望まれるはずですが、もしかしたら私たち日本人の中には、もっと複雑な感情が渦巻いているのではないでしょうか。

提供を受けた側の家族にとっても「ひとさまの命を頂いて、元気一杯に生活していることを表現して良いのか」というような気持ちが働いてはいないでしょうか。
少なくとも、家族としては喜びを抱えながらも、世間にそれを表すことに抵抗があるような気がします。

アメリカなどでは、提供を受けた人が元気に生活していることがわかるよう、運動会が開かれるといいますが、果たして、日本で同じことをしたとして、それを見て、提供した側の家族は心から共に喜べるのか…

メディアで、臓器提供を待つ子どもたちの話は取り上げられます。もちろん、とても大事なことです。
しかし、提供を受けて元気に生活をしている人の姿は、あまり私たちの目に触れていないような気がします。
本来なら、そうした人たちが幸せに生活している姿を見ることで、臓器提供を“する”側の意識も変化していくのだと思います。

自分の子どもの心臓が、目の前の子どもの心臓として動いているとき、私はどんな気持ちになるのでしょうか。
そこに、自分の子どもの姿と重ね合わせて喜べるのか、そこに、この世にもういない子どもの不在を感じてしまうのか…
私たちのメンタリティーは、実に複雑にできているのだと思います。

enoki
神奈川県の在宅障害者手当
神奈川県の「在宅重度障害者手当」支給に関する条例改正案が賛成多数で可決しました。
原案には、来年の4月1日から支給総額を約39億円絞り込むことが示されており、緩和策として、支給対象から外れる障害者にも2010年には通年で半額支給を続けることが盛り込まれていました。
しかし、今回の改正案が可決されたことで、2011年度も半額支給を続けることが可能になり、緩和延長という方針がとられました。

昭和44年から現在まで約13万人に月々6万円支給されていた手当を、手帳の種類や、重複障害の有無によって手当を削減することになり、結果として12万人以上の人たちが支給を受けらなくなる想定が出ています。
金額にすると44億円から5億円に削減されることになります。
この急激な変化を緩和させるべく、2011年まで半額支給を決めたわけですが、いずれにしても、これまで在宅手当によって生活を維持してきた人たちにとって不安が募るのは間違いありません。

この削減で生まれた財源は、地域作業所やケアセンターの存続など、生活のために使われるべきだと考えています。在宅から社会へ、という考えのもとに進められた法案だとしても、財源をどこにつけるのか、という議論がきちんとなされなければ、弱者切り捨てとなります。

地域作業者などに訪問すると、施設を維持することに本当にご努力を積み重ねていらっしゃるのがわかります。
作業された商品を購入して使わせて頂くことがありますが、非常に丁寧に心を込められて創られています。

地域作業所の作品


ハンディを持つ人たちが、社会で生活できるようになるには、まずは安心して集える場所が必要です。
そのために財源を充てることができなければ、「お金がなく、心もない政治」であると考えます。
戦時の大統領
昨日は、“Uniter”(統合者)としてのアメリカ大統領について書かせて頂きました。
今日は、“戦時の大統領”について、少しお話したいと思います。

私自身のビジョンの中でも、「危機対応能力の高い国家を目指す」ことを示させて頂いています。
地域の話では、校舎の耐震化を100%にすることもそうですし、国家としては、有事の際には瞬時に情報を取りまとめ、国民に伝え、判断を行うシステムが整備されているか、ということを意味します。

危機管理の重要性は、私が9.11の同時多発テロをワシントン郊外の、ペンタゴンの近くで遭遇したという体験にも基づいています。
大統領がブッシュからオバマに変わり、対イラク戦争への方針も変わりつつあります。
しかし、テロに遭った瞬間、戦時の大統領がいかなる方法で、イラク戦争へ踏み切ったのか、私たちは知っておく必要があると思います。
特に「言葉(演説)」という側面からお話したいと思います。

戦時に向かう大統領を国民が支持しなければ、強大な権力を有している大統領といえども、軍事行動には踏み切れません。
演説から、国民は大統領の意思決定と行動への決断を読み取ります。
アメリカ国民の生命が危機にさらされていることや、国家の価値がゆるがされていることが決断の理由になりますが、それが熟慮を重ねた結果の最後の手段であり、苦悩に満ちた決断であることを示す必要があります。

大統領の戦争スピーチに共通しているのが、「熟慮を重ねて慎重に検討した結果である」という言い回しです。
敵対する国家に対してあらゆる平和的な手段を尽くしたが、脅威の重大性から見て武力行使の決定は、最後にして不可避な手段であることを証明するナラティブ(情景描写)の最後につく決まり文句です。

第41代ブッシュ大統領は、1991年1月、イラクへの空爆開始にあたって国民に向けて行った戦争スピーチで

「湾岸地域に軍隊を展開する28カ国は全ての理性的な努力を尽くして平和的な解決を図ったが、今やサダム・フセインを武力でクウェートから放逐するしか他に選択の道がないという結論に至った。(中略)合衆国は国連と協力して、使いうるすべての手立てを尽くして、この危機の平和的解決を行ってきた。」

と述べて、今回の決定が最後の手段をして感情論を排して理性的に行ったものであることを強調しました。
一方、2003年3月17日にジョージ・ブッシュ大統領が行った演説は最後通告演説となっており、戦争を避けるためにあらゆる手段をとったことを国民に確認しています。

「万が一サダム・フセインが対決を選ぶのであれば、アメリカ国民は戦争を避けるためにあらゆる手段が取られたこと、そして戦いに勝つために、あらゆる手段が取られることを知ることになる。」

この演説は大統領が国民に向けた形をとって、テレビ放映され「サダム・フセインはイラクを48時間以内に去らなければならない」とタイトルがつけられた、国民にとって印象深い演説となりました。

アメリカ国民が兵士として戦地に送られる際には、生命の危機が避けられません。
国民が直接、痛みを感じることになるわけです。ですから、大統領は「苦渋の選択」であることを、必ず国民に伝えなければなりません。
そして、アメリカが攻撃をするのは征服が目的ではないという、自己防衛のメッセージを加えます。
軍事行動に踏み込む決断には、アメリカ国民を守るという大統領の使命がある、とブッシュ大統領は明言したのです。
2001年の同時多発テロを経験したアメリカ国民にとって、アメリカ本土が再びテロの標的になり得ると考えたとき、国土と国民の安全を命題とした戦いは、支持されるものとなっていました。

イラク戦争の総括は、イラク戦争を決断した大統領とは違う大統領、つまりオバマ大統領によって行われることになります。
テロで亡くなった国民、戦争で命を落とした兵士、彼らの帰りを待つ家族。
さまざまな思いを持った国民に対して、いかなる総括をするのか、大統領の手腕が問われるところです。

日本は、もちろん二度と戦争を繰り返さず、平和を守らなければなりません。
しかし、国家が危機的状況に遭遇したとき、リーダーが国民にきちんとしたメッセージを伝える能力があるかどうか、というのは重要なことだと考えています。
“Uniter”(統合者)としてのアメリカ大統領
主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)が8日から、イタリア中部のラクイラで開幕されています。

日本時間の9日朝には、G8首脳による討議を行い、核兵器のない世界を目指す「不拡散に関する首脳声明」が発表されました。また、オバマ大統領が来年の3月上旬に核兵器の拡散阻止策を討議する「核安全保障サミット」をワシントンで開く考えを明らかにしたことが報じられました。
G8では各国がそれぞれの思惑を持ってテーブルにつくわけですが、やはりアメリカ大統領の発言や行動には大きな注目が集まります。

「なぜかれんさんはアメリカ政治を勉強したの?」という質問を受けることがありますが、その理由の一つはまさに、「統合者」としてアメリカのリーダーシップや役割の大きさを感じているからです。
アメリカが世界において与える影響の大きさだけでなく、民主主義の機能を考える上でも、多様な価値観が存在するアメリカ社会を分析することは意義があることだと考えています。
 
フランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルは1830年代初頭にアメリカを訪れ、大衆による民主主義を観察しました。
トクヴィルは「境遇の平等が保証されており、それがアメリカ社会に一定の方向性を与え、法律にある傾向を付与する。為政者のこのような態度は、はるかに広範な影響を及ぼし、市民社会を動かす力をもつ。これこそがアメリカのデモクラシーの根幹であり、市民社会を動かし、世論を作っている」と論じました。
この、トクヴィルが描写したアメリカ社会の姿は、今日のアメリカの自発的な政治的運動や、市民運動、民主運動につながっていると見ることができます。

オバマ大統領の誕生は、国家が9.11テロ後の外交政策によって、ある意味、分断していたアメリカ国民を「CHANGE.Yes, We Can!」という言葉で統合した“Uniter”の登場であると考えられます。
その“Uniter”(統合者)の象徴のように捉えられるオバマ大統領が、G8という国際社会のテーブルでどのような役割を果たしていくのか、見守りたいと思っています。
カンボジアへ支援の輪を広げよう
不思議な縁が繋がって、カンボジアの子どもたちを救おうと、日本の大人たちがかれん’sルームから声をあげました!

教育に関しては漆原隆一先生よりスライドショーを交えて、カンボジアの子どもたちの現状についてお話頂きました。
漆原先生は私の中学一年生の担任の先生で、現在は奥様と一緒にカンボジアへ移住し、「友人のひとり」として子どもたちに日本語を教えたり、奨学金制度を立ち上げたり、幅広く活動されています。

スライドショーの様子.jpg


中でも非常に興味深かったのは、教育の立ち遅れは、長い内戦の中で、リーダーとなりそうな人から虐殺されたことが深く影響しているというお話でした。
ポルポト派による支配下で、知識階級から殺されていったのだそうです。つまり、教育者たちが虐殺されたことで、30年経った今でも、教育体制が整っておらず、リーダーと成り得る人材も育っていない現状なのです。
リーダーの不在は、国にとっての危機と直結しているのだと再認識しました。

この話し合いには、サーファーチーム、医療チーム、歯科チーム、医薬品チーム、教育チームの方々が参加し、活発な意見交換が行われました。
まだまだ模索中ですが、みんなの気持ちを盛り上げながらできる運動、そして、現地で喜ばれることは何か、いろいろな側面から考え、それぞれの分野で大きなムーブメントを起こしていければと思っています。

エコキャップをお渡し.jpg


※NPO法人全国障害者福祉援護協会の理事長がいらしたので、エコキャップの進呈式も行いました。
レトリカル・リーダーシップについて
麻生内閣への支持率が10%後半から20%の前半で推移していることが、さまざまな世論調査によって発表されています。
読売新聞と早稲田大学が共同で計6回実施した世論調査の中で、自民党に政権担当能力があると答えた人のパーセンテージの変動を見てみると、麻生首相の発言や失言に大きく影響を受けていることが読み取れました。

政治家の資質として求められる要素は実にたくさんありますが、そのうちの最も大事な要素のひとつが「言葉」であると、私は考えています。
今回の麻生首相の支持率を見ると、「言葉」によって国民に対して説明する、という姿勢が伝わってこないことも大きな要因であるように思います。

私は、アメリカの大学院で主に大統領に於けるレトリカル・リーダーシップという分野を研究してきました。
国民に対してメッセージを伝えることで、支持や賛同を得てリーダーシップを発揮するリーダー、これを「レトリカル・リーダー」と呼び、そのリーダーシップのありかたを「レトリカル・リーダーシップ」であると私は定義しています。

アメリカ大統領は、儀礼的、象徴的な国家元首の役割と行政府の長としての役割を同時に果たし、軍の最高司令官としての役割も求められています。
そのような複合的な職能を負う大統領は、世界や国内で起きている出来事についてさまざまな決断を下し、その内容をメディアを通じて国民に説明することが求められており、さらにそのスピードは速くなければなりません。

レトリカル・リーダーシップは、テレビ・新聞などのマス・メディアを媒介とします。ラジオの利用には長い歴史があり、現在インターネットの活用も見られています。
言葉だけのメッセージでなく、特に近年、映像という情緒的なシンボルと結びついたイメージがマス・メディアに乗って拡散されるようになりました。
マス・メディアの発達は、リーダーと人々とのイメージ的な結びつきを容易にする一方で、メディアによって操作され、統制された断片的な情報だけを人々は受け止め、その場で消費し、主体的行動には至らないといった現象を生むことにもなります。

しかし一方で、レトリカル・リーダーは、メディアの発達と共にさまざまな意味が付加されつつも、今も昔もスピーチ・演説に命を懸けるということは変わりありません。
アメリカ政治の歴史は、そのまま大統領の演説の歴史と言い換えることができます。
目の前にいる聴衆に向けて、記憶に残る演説をすることだけでなく「歴史に残る演説をする」ことが意識されるのです。
それはオバマ大統領のスピーチが、これだけ日本人の心を捕らえたことを鑑みても、明かだと思います。

翻って、日本において、心を打った政治家のスピーチを私たちはいくつ思い浮かべることができるでしょうか。
政治家はもっと言葉を大切にすべきです。
私はこれからも変わらず、魂を込めて、お話をさせて頂きます。
ドクターヘリ配備へ
医療の充実は、言うまでもないことですが、特に高齢化が進み、道路渋滞が懸念される地域に対して、手厚い救急医療システムが必要だと考えています。
その中でもドクターヘリの配備は、今後ますます加速する、少子高齢化社会においても重要な役割を果たし得ると思っています。

2009年は、ドクターヘリのシステムが試行的にはじまってから10年目になります。
しかし、今から40年ほど前、1970年頃から、既にドイツ、スイス、アメリカなどではヘリコプター救急が始まっていたのだそうです。
日本の医療技術は世界に誇るべきレベルにありますが、ドクターヘリの配備に遅れを取っています。

配備立ち遅れの原因のひとつに、費用の問題があります。
1機について年間1億7000万円ほどの運営費がかかり、その費用は国と自治体が負担しているため、なかなかその負担金が捻出できない、という現実があります。
そのため、日本にはまだドクターヘリが16都道府県内で18機しかありません。
一方で、2008年度の出動件数は、全国で計5635回
患者数も5182人にのぼり、交通事故や労災による怪我が半数以上だったことがわかりました。
この結果を見ても、ドクターヘリ配備拡充は重要です。

2001年から、国が年間経費の半額を補助する制度をスタートさせ、2009年度、政府は新たに6機分を加えた予算を確保しているそうです。
私は、日本の国土から考えても、まずは50機配備を目指すべきだと思っています。

また、国が基準となるドクターヘリ出動回数を年間240回と想定していることを考えると、現実と大きな隔たりがあり、実際には今の国による補助だけでは運用は困難です。

ここ17区では、ご存じの通り、東海大学医学部付属病院に配備されていますが、交通事故に遭ったが、ドクターヘリによって早く処置ができたため、後遺症なく生活できているという方にお会いしたことがあります。
NPO「救急ヘリ病院ネットワーク」の調査でも、ドクターヘリでの搬送が、患者の治療に大きな影響を与えていることがわかっています。

東海大病院(神奈川県)・日本医科大千葉北総病院(千葉県)・手稲渓仁会病院(北海道)・久留米大病院(福岡県)の4病院で、ドクターヘリ導入後から、07年12月までの間に救急車で搬送された患者と年齢や重症度をそろえて比較した結果
「交通事故で重症となった患者をドクターヘリで搬送すると、救急車で運んだ場合に比べて入院日数が4~18日短縮し医療費も5万~116万円安くなる
という結果が出たのだそうです。

確かに、1機配備するための運用費は莫大ですが、長い目で見れば、国が今後負担することになる医療費を抑える一手になり得ると思います。
保険制度の見直しなど、目の前の問題に迅速に対処する一方で、先を見据えて先行的に整備を進めることも重要だと考えています。
七夕に向けて
かれん‘sルームの近くには、笹の葉が飾られ、保育園や幼稚園の子どもたちが願いを書いた短冊がぶらさがっています。
子どもならではの可愛らしいお願いごとや、将来への大きな展望を感じる願いまでいろいろとあります。
子どもが、未来に期待できなくなったり、何かに願いを懸けられなくなったら、社会は崩壊してしまいます。

商店街の七夕.jpg 短冊に願いをこめて.jpg


誰もが自由に未来へ願いを思い描ける社会にしなくては!

かれん‘sルームでも、知り合いの方が笹を下さったので、入口に飾ることにしました。
飾り付けは、近所に住む小学生、Yちゃんが担当してくれました。
かれん‘sルームには短冊も用意してありますので、(セロテープを使わないエコ短冊のご用意もあります)
ぜひ気軽に、みなさんの願いごとを書きにいらしてくださいね。
妊婦健診14回無料化の実態
2008年度の第二次補正予算で2010年度末までの期限付きで、妊婦健診14回分の費用助成が盛り込まれたことは、みなさん記憶に新しいと思います。
少子化に歯止めをかけるためにも、この妊婦健診14回無料化の実行を自らのビジョンの中で訴えてきました。

妊婦健診は、医療保険適用外のため、公費助成がない場合、全額自己負担となります。
周りに出産経験者が多くいますが、「健診の費用はばかにならないが、受けないわけにもいかないので、経済的に大変だ」という話をしていました。
経済的にその負担を負うことのできない妊婦さんは、健診を受けずに「飛び込み出産」するケースもあると聞きます。

そのような負担を軽減し、妊婦さんに等しく安全に出産をしてもらえるよう、この妊婦健診14回無料化が決まりました。
これまでは、14回のうち、5回が地方財源措置(市町村)、
残りの9回を個人負担、または市町村による任意助成で行われていました。

【5回(地方財政措置)+9回(個人負担OR市町村の助成)=14回】

今回変更した点は、
14回のうち、5回が地方財政措置(市町村)<ここまでは従来と同じ>
残りの9回の半分は国による特例交付金、
残りの半分は、地方財政措置(地方交付税)となりました。

【5回(地方財政措置)+9回(国からの交付金と地方交付税で半分ずつ)=14回】

しかし今回、9回のうちの半分、地方交付税で賄われる部分で、実は市区町村によって補助の額に大きな差があることがわかってきました。

国は、出産までに必要とされる14回分の健診料、1人当たり約11万8000円相当の財源を市区町村に手当しました。
しかし、市区町村の公費助成額の平均は、8万5759円だったことが判明。
神奈川県の平均助成額は 6万1295円でした。
この金額は全国で大阪府、愛媛県に次いでワースト3になっています。

17区で見てみると、箱根町は、国からの財源に近い10万1000円が助成されますが、湯河原町は4万6000円ですので、市町村それぞれでも大きな差があることがわかります。
国からの助成として充てられた金額と、自治体が実際に助成する金額の差が、なぜ生じているのでしょうか。
地方交付税としてのお金の使い道は、自治体に委ねられているため、妊婦健診よりも、もっとお金をかける必要がある、と判断されれば別の用途に使われることになるからです。

また、今回の無料化に対する助成は、「2010年度末まで」という期限付きのため、自治体も今回助成を拡充をしたとしても、2011年以降には、国からのお金はなくなるわけで、その分の助成金額はどこが負担するのか。将来的な長いスパンで考えると簡単に決断できない、というジレンマを抱えているのだと思います。

「妊婦健診14回無料化」というワードだけが先走り、産婦人科やクリニックでは、無料ではないのか!と言われてしまうという医師の声もお聞きします。

子どもを産み、育てるための支援として、今回の妊婦健診14回無料化というコンセプト自体は、私は意味のあるものだと思っています。
しかし、実行へのプロセスが“雑”です。
期限付きでの助成となると、自治体はどんな反応を示すのか、地方交付税という方式が目的がきちんと定められている施策に有効なのか。
国民には、その「無料化」の意味をきちんと伝えられているか。

大事な政策を打ち出すにしても、正確な内容の告知が不十分で、プロセスが的確でないと、現場の混乱を引き起こし、政策自体もうまく機能せず、無意味になります。
もっと丁寧に政策を立案し、実行していくべきです。
日本の年金比率、低水準
先週発表された、経済協力開発機構(OECD)による年金制度に関する報告書の結果を、みなさんはご覧になりましたか。
日本は、加盟30カ国中、年金比率が2番目の低水準という、情けない結果となっています。
日本で新たに労働市場に入った人が、公的年金から将来得ることのできる給付の所得代替率、簡単に言えば、働いていた当時の所得に対する年金所得の比率、が中低所得層でOECDに加盟している先進国30カ国中、2番目に低くなると想定されています。
多少乱暴な言い方をすれば、一生懸命働いていたとしても、仕事をリタイヤした後にもらえる年金は僅かである、ということを意味します。

その上、日本は現在、65歳以上の高齢者1人を、働いている世代が2・6人で支えている構図です。
OECDの平均4人ですので、その点でも就労世代は非常に重い負荷を背負っていることになります。

若い世代に「相互扶助の精神で年金をきちんと納めなさい」と言うより、まずは皆にとって安心でき、信頼してもらえる年金制度の構築が重要だと思っています。
以前にも、河野太郎代議士と年金制度についての勉強会を行いました。
大切なのは、2階建てのシステムにすること。
基礎年金」と「積立年金」という2階建てにし、「基礎年金」は誰もが必ず受け取れるようにすること。

最低限の年金は保障される」というシステムが構築しないことには、今後の長寿社会の上で安心して年を重ねていくことができません。
制度疲労を認め、新しく年金の仕組みを作りかえる時期が来ています。
応援メッセージ(9)
7月になると想い出すのは、昔ベランダで飲んだ、なまぬるい水の味である。
ベランダにビニールシートを敷き、赤い小さな水筒に、
水道のお水をいっぱいに入れ、ふたりでベランダへと向かうのである。
強い夏の日差しの中、
「奥様、お茶をどうぞ」
とままごとをした、遥か昔の想い出である。

面倒見のいい姉.jpg


姉のかれんと、私とは5歳離れ。
私にとってままごと遊びが全盛期だったころ、
姉はままごとの世界を抜け出して、同い年の友だちと遊ぶほうが
楽しかったに違いない。
しかし、ふつうの水道水を「おいしいおいしい」と言って
何度も差し出す、私の小さな水筒のコップに、
姉は何度もお水をついでくれるのだった。

姉は、私にとって頼れる姉であり、そして忙しい両親に代わって面倒を看てくれる
母でもあった。
算数につまづき、鶴亀算の恐怖にさいなまれると、
わかりやすい算数のドリルを買ってきて、根気よく教えてくれた。

鶴亀算の後、食塩水の濃度の時点で、援助空しく私は数字の世界と決別したが、
姉は何でもきちんとわかるまで徹底的に勉強する子だった。
学ぶことに貪欲で、妥協というのを知らないのである。

姉が17区に嫁ぐ前、私は一緒に姉の部屋の片づけをした。
彼女の引出しは、ノートの切れ端やらキャラクターの便せんやら
たくさんの手紙で溢れていた。
そこには、日々の出来事から恋愛相談まで、いろんなことが書かれていたのだろう。
物もちの良さにも驚いたが、手紙の量と同じくらい、
友だちから必要とされていたのだと感じた。
姉は決して誰かをひとりぼっちにしたりしない人だからである。

そんな姉が政治の道を志すという。
私だけのたったひとりの姉だったが、政治という世界に、差し出そうと思う。
きっと今の日本には、正義感があり、物事に妥協せず、強くて逞しくて、
そして優しい心の持ち主が必要なのだと思うからだ。
だから、妹の私ができることは、姉であるかれんを、政治のために差し出すことだ。
それがみんなのためになると確信しているから、寂しいけれど、
私は目一杯、背中を押すことにした。
もう私だけの姉ではない。しかし、それでいいのだ。



早稲田フェスタin小田原
28日には、小田原高校で開催されていた、「早稲田フェスタin小田原」に出掛けてきました。

早稲田フェスタin小田原.jpg


授業をするために早稲田大学に訪れるたびに感じているのは、学生がいきいきと活発に学園生活を送っている、という空気です。
今回の小田原高校でも、チアリーダーによるパフォーマンスが行われていたり、そのエネルギーを感じることができました。

今回の企画は、「大学を地域社会に発信したい」という早稲田大学のねらいと、小田原高校の「生徒に刺激を与え、地域とのつながりを強くしたい」などの思いが重なって実現したと報じられていました。
特に小田原高校としては、高校生の大学志望へのニーズに応える、ということの他に、「理科教育推進を通して神奈川県西部の教育力向上に資する」という思いがあったのだと聞きました。

講義風景.jpg


日本の理数系分野での発展はめざましいものがあります。2008年、ノーベル物理学賞とノーベル化学賞で日本人が受賞を果たしたのも記憶に新しいと思います。

早稲田フェスタでは、パフォーマンス披露や講演会だけでなく、小学生から高校生に対して、それぞれの年齢に応じた生物や化学、物理の実験室が開講されていました。
小学生向けには、科学実験のステンドグラス教室が開かれており、万華鏡を作っていました。
10代の頃から、実験を通して楽しみながら仕組みを知るというのは大事なことです。
将来の技術者への第一歩は、広がる好奇心と探求心だと思っています。
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