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神奈川17区衆議院小選挙区 支部長 牧島かれん 活動レポート

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自民党に災害支援本部が立ち上がりました
タイの大規模洪水とトルコの大地震に対応するため、自民党に谷垣禎一総裁を本部長とする災害支援本部が設立され、昨日、党本部にて、内閣府、外務省、経済産業省、気象庁より状況のご説明を頂きました。

まずトルコについては、トルコ政府と緊密に協議しながらテント等の緊急援助物資の供与実施が決定されているとの報告を受けました。
震源地であるヴァン県においては、今回の地震によって小麦粉、飼料、建設資材、セメント工場などが被害を受けた模様で、トルコ経済全体に与える影響は限定的と考えられていますが、推移を注視していく必要があります。

タイの洪水被害に対しては、既に、テント、浄水器、救援ボート用船外機、ライフジャケット、仮設トイレなどの支援が進められています。
連日テレビなどで被害の様子についてご覧になっている方が多いためか、座談会などでもその要因についてご質問をいただきます。
5月から10月の雨季の降る降水量が、今年は例年の1.4倍、多い所では1.8倍に上っていたことが原因と考えられます。都心部を守るために堤防にそった排水を予定していましたが、歴代第3位を記録した降雨量。都心部でも1.5メートルの冠水の可能性が50パーセントにまで至っています。その面積は、関東平野に匹敵するとまで言われています。

被災により日系企業も、自動車やエレクトロニクスの分野で操業が停止され、直接冠水をしていなくても、冠水した地域から部素材が届かないなどの供給途絶の影響を受けている企業も多く見られています。この復旧には2、3ヶ月はかかると考えなければなりません。この状況に対して、具体的な援助物資の支援は既に進められていますが、タイの経済産業の復興対策でも日本の役割が期待されていると考えています。
サプライチェーンの寸断を回避するためにも、生産体制を日本でバックアップすることが検討されており、この期間にタイの人々の研修を進めるというお話もありました。また、タイ現地ではJICAの活動などでこれまでの調査実績もありますので、こうした時こそ治水防水対策も日本が協力をしながら再発防止につとめる役割を果たすべきだと考えています。
今後も具体的な情報が入り次第ご報告させて頂きます。
「言いたいことがあれば、男に頼め。やってほしいことがあれば女に頼め。」:応援メッセージ
寄稿:大井町後援会会長 高橋和久

10月20日、東京全日空ホテルでかれんさんの属する自民党政策グループ為公会(会長 麻生太郎氏)のセミナーに幹事長と参加してきました。 今夏発足したばかりの後援会幹部として、牧島かれんの政治姿勢そしてその同志についてもっと知りたいと考えていた矢先、ましてや講師が外交ジャーナリストの手嶋龍一氏とあれば、少々高めの参加費も物ともせず押しかけ同然で参加しました。
会場は全国から集まった1000名を超える支援者で超満員、大島副総裁・石原幹事長はじめ各派閥のトップが多数駆けつけ盛大なセミナーとなりました。もちろん河野太郎代議士も主催者として私たちを暖かく迎えていただきました。
「クライシスのなかの指導力を考える」と題し、麻生会長との掛け合いを織り交ぜながら、9.11同時多発テロ・東日本大震災と原発事故・沖縄基地移設問題、そして麻生氏が外相当時深く関わった日中外交の緊迫場面等を題材に政治家の資質、危機管理能力について生々しい裏話を織り交ぜ解りやすく講演していただきました。
マーガレット・サッチャー元英首相の「言いたいことがあれば、男に頼め。やってほしいことがあれば女に頼め」の言葉をあえて紹介し、女性のもつ実行力に日本の未来を託したいと講演を締めくくったのは、ワシントン留学中、9.11テロを手嶋氏のスタッフとして同時体験し、これからも政治家牧島かれんへの決定的な影響力を持ち続けるであろう同氏からのかれんさんへの最大級のエールにも聞こえてきました。
最後にもうひとつ、「私の教え子にも等しいかれんさんをアンタに預けたのだから次の選挙でよもや落とすような事は無いでしょうな!」と壇上でマイクを麻生太郎氏に突きつけたのは圧巻、会場大拍手でお開きとなりました。
この感激と頂いたパワーを一人でも多くのお仲間に知って頂きたく一筆寄稿させていただきました。

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トルコで発生した地震にお見舞い申し上げます
10月23日、トルコの東部でマグニチュード7.2の地震が発生しました。ロイター通信によると、この地震での死者は25日夜(日本時間26日未明)現在459人に達したそうです。
48時間ぶりに生後2ヶ月の赤ちゃんが無事救出されたとの報道もありましたが、一刻も早く一人でも多くの方たちの命が救われることを祈っています。

現在も懸命な救出活動が続けられているトルコですが、この春、トルコ・イスタンブールで開催された"Global Summit of Women 2011"に日本代表メンバーとして参加をしました。
このサミットは、政治、経済、文化各方面でご活躍の女性が世界中から一堂に集まる世界大会で、今まで日本の政治家の参加はなく、初めてお声をかけて頂き出席することとなりました。
女性の大臣が集まるラウンドテーブルもありますので、本来ならば、日本のプレゼンスをこうした場面でも高めていかなければならないのですが、アジアの中でも中国、モンゴル、韓国などの代表団が人数も多く存在感を示しているのが現実です。
この大会の様子はまたお伝えするとして、まずは大地震の被害に見舞われたトルコの皆さんにお見舞いを申し上げたいと思います。

皆さんにとってトルコのイメージはどのようなものでしょうか。
西洋とアジアの文化が重なり合う情緒溢れるイスタンブールの様子は歌にもなっていますが、トルコと日本の歴史にはもっと深いものがあります。

イラン・イラク戦争勃発時にイランに取り残された日本人を救ったのはトルコでした。
母国には戻れないと覚悟を決めた人もいた、と言われる中、窮状を知ったトルコ大使館のビルレル大使が「ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」
と応えて下さったと言われています。
エルトゥールル号の遭難とは1890年に現在の和歌山県で起きた事件で、トルコの船が遭難したことを知った村人たちが総出で救助と生存者の介抱にあたったことから、日本とトルコの友好関係が築かれるようになったものです。
トルコ人には親日派が多い、と言われていますが、私もトルコ人との交流を通してそのことを実感しています。

今回の東日本大震災でも多くのトルコの方々が支援を下さいました。
トルコのファースト・レディーEmine Erdogan夫人(一番左。一番右はMCM代表のスンジュー・キムさん、と日本代表の佐渡アンさん。)や女性の地位向上を目指す庁のLeyla Coskun長官からもお見舞いのお言葉を頂きました。

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イスタンブールは異なる文化を融合させ他の地域へインスピレーションを与える存在ともなっていますが、繋ぎ合わせているのは文化だけではありません。
過去と未来の結び目でもある、という印象があります。
歴史と近未来のテクノロジーが一体となった町。


そんな魅力溢れるトルコが再び元気を取り戻せるように願っています。
日本も震災によって大きな被害を受けましたが、だからこそ共有できるノウハウがあるはずです。
共に復旧・復興を目指して協力していきたいと思っています。

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水耕栽培の可能性
神奈川新聞で写真を見た時からずっと気になっていた水耕栽培「グランパ」の秦野ファームへ見学に伺いました。
ここではレタスやハーブが太陽の自然光のもと生産されています。
水耕栽培では単作の野菜などでも一年に複数回収穫することが可能で、冬場国内では沖縄でしか収穫できないバジルなども、どの地域であっても生産できるとのこと。
季節や天候によって生産量が左右される農作物ですが、水耕栽培には自給率向上のヒントもあるように感じます。

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そして、やはり注目を集めているのはこのドームのかたち。
円形水槽の「内側」で苗を植えると、野菜の成長に合わせて野菜そのものが自動的に外へ送り出され 収穫は「外側」ですることが可能です。
このシステムだと、成長の源である根っこにむやみに何かが接触する危険も回避できますし、成長に合わせて移動させる必要もない為、傷がつきにくい仕組みだとご説明を頂きました。
直径30メートルのドームなので、35メートル平方あれば一棟のドームは建つということです。
水槽の中心部での朝2時間の作業以外は手を加えずともレタスが綺麗に成長していくそうで、未経験の方にも参入の障壁が低い手法なのではないかと感じました。

また離農の要因ともされている鳥獣被害に遭うこともない為、農業を既にされている方にとっても、後継者育成の一助になるかもしれません。

実際、こちらで生産された野菜ミックスとホワイトセロリなどをいただきましたが、とてもシャキシャキしていて、みずみずしく美味しかったです。
日本の技術力が生み出した高い生産能力に、諸外国からも見学がみえているとのこと。
アジアやアフリカ各地の肥沃な土地を得にくい場所でも活用される可能性があると思います。

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小田原漆器、その歴史、800年
小田原漆器の伝統工芸士である池谷元弘さんにお会いしました。最近では小田原丼の器としても有名な小田原漆器ですが、室町時代中期に、箱根山系の豊富な木材を使って作られた器に漆を塗ったのが始まりと言われています。池谷さんは、お寺や建造物などに漆を施したり、さまざまな作品を創作されていますが、修行を始められた初期には漆に被れて身体中が腫れて熱が出たものだとお話くださいました。
漆の歴史は9000年にも遡ると言われ、お城の建築にも使われていた事が分かっています。水にも虫にも強いからだとされています。

一方で正直なところ、 日本の「伝統工芸品の器」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、「輪島塗」や「会津漆器」という方も少なくないかもしれません。誇らしげに小田原漆器を見せて「これ輪島塗?」と聞かれたときにはちょっとがっかりしたものです。前者の歴史は400年とされているのに比べて、小田原漆器は800年の歴史があると言うのです。長い歴史と共に受け継がれてきた技が、広く一般に認知されていないのは非常に残念です。
池谷さんはこう仰っていました。「ブランドを築き上げた地域のお殿様は偉かった」

輪島塗は陸路で行商しただけではなく、海運の利を活かして販路を拡大させましたし、会津でも江戸での広報活動のみならず、中国やオランダといった海外への輸出を進めました。技術を保護しただけではなく、外へとアピールし販路を広げた努力が見えるのです。

「かれんさんも、こうしたお殿様を見習わないといけないよ」との励ましを頂きました。政を司る者は、伝統を守り育てながら、スポークスマンとしての役割も果たさなければならないということだと思っています。ひとつひとつに魂を込めて創られてきた伝統の技は、より多くの人に、そして世界の人たちにも知ってもらいたい。そのことが同時に、伝統を守り受け継いで行くことにも繋がると考えています。更に日本の技術やブランドを磨き広報していきたいとの想いを強くしています。
安心・安全でおいしい野菜作り
10月17日の「日の出テレビ」は、「丹沢レインボーファーム」代表として農業を行っている原聡さんをお迎えして対談を行いました。原さんは先祖代々受け継いできた畑で、トマト、きゅうり、なす、ネギなどを生産しています。スタジオにも採れたてのお野菜をたくさん持ってきていただきました。

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原さんのこだわりは、安心・安全な野菜を、一年中安定供給し、お値段的にもお求めやすいものとすること。種の産地まで厳選し、直売から飲食店への直接納入まで多様な販路で地産地消のサイクルをまわしています。最近消費者が敏感になっている放射能についても、直接ガイガーカウンターで農場の放射線量を測って確認をしています。

原さんは農業の担い手の高齢化が叫ばれる中、同世代の農業従事者として、ブランド力の高い農業を目指して奮闘されていますが、農業のリスクについてもお話くださいました。トウモロコシの収穫をしようとした朝にカラスとハクビシンに食べられてしまったこともあったそうです。鳥獣被害から農作物を守るため、ワナをしかけたり狩猟の免許を取ったりもされています。
さらに、燃料高騰によって重油を多く使う作物は作れなくなったともいいます。そして台風などの自然災害の影響もあります。それでも、台風で倒れたネギが「腹筋」を使って自力で起き上がってきたときには嬉しかったとお話し下さいました。

原さんが農業を勉強した神奈川県の「農業アカデミー」の卒業生が必ずしも農業従事者になっているわけではありません。農業の仕事を時給に換算すると200円ともいわれます。それでも、新しい農業に挑戦し続ける原さんの姿に勇気づけられる放送となりました。









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遺族会の皆様と
毎年湯河原町の遺族会の皆様と靖国神社の参拝をご一緒させて頂いています。
ご家族を先の大戦で亡くされた方々と語らいながら、ご英霊の皆様と向き合う時間は大切なものだと思っています。
私の祖父はシベリアに抑留されましたが帰国することができ、戦後母が生まれました。
祖母は満州から引き揚げてきましたが、その時3人の子どもたち、私にとって叔父、叔母を亡くしています。
それぞれの家族に戦後の影が残っていることを私たちの世代までは実感していますが、次の世代にはどのように伝わっていくのだろうか。
遺族会の方々からは不安にも似た思いが伝わり、靖国神社や千鳥ヶ淵墓苑について広く知って欲しいというお声が聞こえてきています。

「靖国」という名前には「心を安らかに、穏やかな平安にして、いつまでも平和な国につくりあげよう」という明治天皇のお心が込められていること。戊辰戦争、ペルー来航、佐賀の乱、西南戦争、日清・日露・大東亜戦争などで尊い命を国家のために捧げられた方々が祀られていられること。軍人ばかりでなく女性の神様もいられることなどはあまり知られていないのかもしれません。

そして靖国神社の後には千鳥ヶ淵墓苑にもうかがいました。ここでは先の大戦において海外で亡くなられた戦没者のうち、政府や遺骨収集団等が外地から帰還し、ご遺族にお渡しできなかったご遺骨をお納めしていますが、周囲の敷石に根府川石が使用されていることが紹介されました。
そして最後に献花をして、皆さんと「ふるさと」を歌いながら、平和への祈りを捧げました。

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津波警報が変わる
東日本大震災から7ヶ月が過ぎました。多くの避難所が閉鎖されましたが、仮設住宅で生活することになった方たちはこれから過酷な冬を迎えることになります。
私も引き続きの支援を行ってまいります。

さて、これまでの津波警報の変更が検討されていることを皆さんご存知でしょうか。
気象庁が大津波警報を発表した際、波の高さが過小な予測になってしまったことを受け、大地震が起きた時には「○メートル」と数値をつけていた警報をやめて、例えば「巨大な」などの表現を使うことが検討されています。

実際にマグニチュード8を超えるような地震の場合には、大きさが正確につかめなくなってしまいます。
想定される最大規模と仮定して、3分をめどに第一報では津波の危険性を伝え、続報で数値を更新していくという方法がいざという時には効力を発揮するだろうと私も考えています。

平安時代に起きた貞観地震の再来と言われた今回の地震。
1995年の阪神・淡路大震災以降、日本列島は地震多発期に入ったと見られ、貞観地震の時にも数十年に渡って似た様な地震の発生が起きていたことが分かっています。
9世紀と21世紀の地震活動が酷似していることから、専門家は9世紀には起きていて、今世紀にまだ起きていない地震があるかを検証したところ、 878年に関東諸国で大被害を出したM7.4の地震に相当するものがまだ起きていないことが分かりました。当時、相模・武蔵の被害が大きかったとされています。
これは神奈川県の伊勢原断層、あるいは小田原沖から房総半島沖に延びている相模トラフの地震だった様です。

更に東海、東南海、南海地震が連動した海溝型の大地震も地震の周期から見て起きる可能性が高いと考えられています。
そして見落とすことができないのは864年に起きた富士山の噴火。

いずれも県西地域に関連するものですので、いざという時の心構えと備えを整えるべく、危機管理の徹底、防災ニューディールを進めます。

参考:『FACTA』2011年10月号
エコキャップ運動の秘策
エコキャップ推進活動の輪が広がっていることを本当に嬉しく思っています。
先月も大根中学校と鶴巻中学校でキャップの回収に立ち会ってきましたが、実は回収車が2校のキャップを全て積み込むことができない程の量を集めて頂いていたのです。
集計表が届けられ、その数字は48万8千個とカウントされていました。その数なんと、610人分のワクチンに相当する量!

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大根中学校でたくさんのキャップが集まった理由にはある秘策がありました。
それは「対抗ゲームにすること」
文化祭に合わせて上級生・下級生が交じり合った学年横断のチームが作られた時に、回収したキャップの数を各チーム対抗の「種目」にしていたというのです。
上級生が下級生の教室を回ってエコキャップの趣旨を説明し、協力を要請。
各チームがキャップの回収を心がけることで、多くのキャップが集まる結果となりました。
子どもたちはゲームの要素を加えてあげると、より関心を持って取り組んでもらえるようです。

協力して下さる団体とエコキャップ推進協会との連携を深めながら、新たな秘策をまたご報告できればと思っています。
日本で大統領選挙はできるか

「かれんさんは何故日本で大統領制度を導入することに反対なのですか」というご質問を頂きました。
以前、「日本の首相はなぜ一年しかもたないのか?」という質問に、私なりにお答えした中で、“政党政治の成熟度”という点が少なからず影響しているのではないか、とお伝えしました。政治に参画する枠組みは必要。しかしだからと言って、日本において国のトップを大統領制によって選択することには反対です。
今回は少しその部分を掘り下げてお話しようと思います。

既にアメリカでは2012年11月の大統領選挙投票日に向けて各地で戦いが繰り広げられています。
アメリカの大統領選挙はその過酷さや長さから「マラソン」に喩えられます。アメリカでは国家のリーダーを選ぶのに時間をかけるべきと考えていますが、これが日本だったらどうでしょう。1年以上もの間、国中各地で選挙体制を取る、ということが果たして日本の風土の中で受け入れられるでしょうか。 

アメリカでの長い選挙戦を支えているのは、党員です。党員集会や予備選挙を行うことで大統領候補が絞られていくのですが、党員として党の帰属意識を持っている人口が少ない日本においては、条件が整っていないと私は考えています。

来年に向けて、アメリカのオバマ大統領は再選を目指すことになるため、選挙戦の注目は共和党に注がれています。
共和党側の候補者はミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事、テキサス州のリック・ペリー知事の二人が有力とされてきました。
しかしディベートでの評価でペリー知事が支持を落とし、会社経営者のハーマン・ケイン氏が急浮上してきました。
9.11の時のリーダーシップで有名なルディ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長も候補者になるのでは、と言われていましたが、参戦しない意向を表明。前回副大統領候補であったサラ・ペイリン前アラスカ州知事も不出馬と発表しています。
ここから先新たな候補者が出てくることは考えにくいのですが、一体誰が抜け出るのか展開が読みにくいのが今回の共和党の候補者レースです。

マラソンは厳しいものですが、それ故に候補者は長く過酷な戦いの中で育てられていきますし、数多く討論会を重ねることで、各候補の国家観が提示され、国民の理解も深まっていくのです。討論会を紹介するメディアがあることも重要な条件となります。
どうしてもワイドショー的、視聴率至上主義的な今の日本のメディアにおいて、報道の責務として長い選挙戦を伝え続ける準備が不足しているようにも感じられます。同時に、日本国民それぞれがリテラシーを持ち、自らのトップを選ぶために情報収集し、選択をしていくにはそれなりの時間と覚悟が不可欠です。

2012年の大統領選挙は予備選挙の日程の変更などもあり、複雑さを増しています。
従来であれば2月の頭にアイオワ州の党員集会と、ニューハンプシャーの予備選挙が行われ、ネバダ州の党員集会、サウスカロライナ州の予備選挙を経て3月頭のスーパーチューズデイを迎えるはずでした。
しかし、今回フロリダ州が1月末に予備選挙を設定することにした為、州法でアメリカで一番最初に党員集会を開くことを決めているアイオワ州が1月3日に党員集会を開催することを決定しました。
年明け早々から大統領選挙のレースが本格化します。
長期化する予備選挙を勝ち抜き、そして共和党対民主党の本戦に備える。
相当な体力とチーム編成が必要になるのがアメリカの大統領選挙です。

もちろん、私自身も日本のトップの顔が短時間でころころ替わることには危機感を感じています。
しかし日本の風土、国民性を考えると、大統領制度を受け入れ得る環境にないというのが現状だと認識しています。
一方で、政治への国民の関心を高めていくことが政治そのものの質をあげていくことになります。そのためには政治を志す者ひとりひとりが襟を正し、国民のサーバントとして地道な活動をしていくほかないと考えています。
牧島かれん杯ソフトボール大会
10月10日晴天に恵まれ、第一回目の牧島かれん杯ソフトボール大会を開催することができました。この大会は20年以上にわたり小田原の磯貝としひこ前県議が開催されてきたもので今年から私が引き継がせて頂きました。昨年は台風の影響で中止になっていただけに、今年も心配されましたが、前夜の雨が嘘のようなスポーツ日和に。ソフトボール協会の役員さんはじめ関係者皆さんのボランティアでグラウンドの整備が進められました。重機を入れるのも手で石を拾うのも関係者の手弁当です。感謝の気持ちでいっぱいです。

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今回の大会は男子13チーム、女子2チームで行われました。
「ネバーギブアップの精神でかれんなプレーを目指します」
との選手宣誓があり、試合開始。

「お父さん、頑張って」とお子さんの声援があるかと思えば
「エラーしたらお弁当抜きにするよ」
と気合いを入れる仲間あり。賑やかな交流戦となりました。

男子決勝は「EV-Zone対ダークホース」で2ー3でダークホースが優勝しました。
女子は「シリウス対中井女子」でタイブレークの末10ー11で中井女子が優勝しました。

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私は一回戦にクラブ小田原の代打で出場。「高校生の時に球技大会でピッチャーだった」というのは幻の様な真実。スポーツは普段もっぱら応援部隊ですが、バットの軌道を見てピッチャーがバットにボールをあててくれ、ヒットに!一塁まで全速で走りました。

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今回の参加者は中学生から70代までと幅広く、お互いのチームにエールを掛け合いながら交流を深めることができたと思っています。参加者、応援団、大会関係者、ご協賛下さった皆様に感謝し、来年も楽しい大会ができる様にと願っています。

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シダ植物を学ぶ
お誘いを頂き小田原フラワーガーデンで開催されたシダ植物の講演会に参加しました。
改めてシダと向き合おうとすると奥が深く難しそうに聞こえますが、コシダ等は果物を入れる籠細工に加工されていたり身近なものでもあります。乳母車の材料になっていた時期もあったそうで、生活に密着した存在なのです。

シダは実は県西地域との繋がりも深い植物です。箱根で発見された等の理由から名付けられたシダには「ハコネイノデ」「ハコネシケチシダ」「ハコネオオクジャク」などがあり観察のご報告もされています。更に「シシベニシダ」の生育地は日本では久野だけとされています。「イワダレヒトツバ」が1958年に山北で発見された時には日本シダの会の10大ニュースとしてシダ界では大騒ぎだったと言います。県西地域がシダ界を賑わす生息地であること、新発見でした。

「目を近づければ楽しさ無限」とおっしゃる先生がいて下さることで、新しい世界が広がるのだと感じました。
シダの切手を探したり、100円ショップでちょっと買い物をする時でもシダの描かれた箸置きや湯呑みがないかと気にかけるなど、シダに囲まれた生活をすると楽しい気持ちが膨らむ、というお話がありました。

私はシダ博士にはなれませんが、どんなことにも目を凝らし、とことん取り組む姿勢の大切さは共通するのではないかと感じた時間でした。
さようなら、スティーブ
アップルの創始者、スティーブ・ジョブズの訃報に私が思い出したのはスタンフォード大学の卒業式でのあの名演説でした。

"Stay Hungry. Stay Foolish."
どん欲であり続けることを若者に投げかけて結んだスピーチは
「点と点をつなぐ」
という生き方を示してくれていました。

大学をドロップアウトすることになったジョブスの人生は、未婚の学生であった母がスティーブを養子に出す所で最初のターニングポイントを迎えています。
当初弁護士夫妻の養子になるはずだったものの、最後の最後にやはり「女の子がいい」と言われてしまい、アメリカの所謂労働者階級の家庭の子どもになります。
母は養子縁組を結ぶにあたり「スティーブを大学に行かせる」という約束を交わし17年後、確かに大学へ入学しました。

しかし、それは家庭にとっても大きな負担をもたらすものであり、将来の目標が定まらぬまま学生生活を送ることもできず、結局ドロップアウトすることになりました。
しかし、そこでスティーブは「カリグラフィー」の授業を受け、それが私たちにとって当たり前となったパソコンの「フォント」や「字体」を生み出すことになるとは当初は想定していなかったはずです。

でも、これこそまさに「点」と「点」がつながった瞬間だと思います。
どことどこがいずれ人生に大きな変化をもたらす「点」で、いつどの様なシチュエーションで「つながる」かは分からないものだと私も常々感じることがあります。

後になって「あぁ、こういうことだったんだなぁ。」と人生の繋がりを教えられることがありますが同時に、一つひとつの出会いや出来事にしっかりと向き合っていくことで、繋げることができるようになる、というのも又一面だと思っています。

最良の日を重ねていこうというスティーブ・ジョブスの思いは最期まで貫かれていたのではないでしょうか。
彼が私たちにもたらしてくれたテクノロジーに感謝しつつ、MacBookで書いたこのブログでスティーブにお別れを告げたいと思います。
天国でどうぞ安らかに。

めぐみさん47回目のお誕生日
10月5日、横田めぐみさんのお誕生日にはご本人の姿はなく、拉致問題を考える国民大集会が川崎で行われました。


めぐみさんが日本から北朝鮮に拉致されて34年、5人の帰国から9年。何ら進展のない時間が過ぎています。
「このままでは日本は『自国民がさらわれても何もしない国』と言われる。」「人の命を助ける思い、魂を日本の政治家に求めたい。」「日本は本気なのか、他国は見ている。」横田さんご夫妻の言葉には、北朝鮮の情勢を見極めた上での毅然とした政府の対応を求める強い願いが伝わってきました。

北朝鮮は体制の転換期を迎え交渉の場を求めている、とも言われる中、民主党内の部会で「何をもって解決とするのか、政府の政治決断をするべきだ。首相が泥をかぶるしかない。」といった幕引きを模索するかの様な発言があったとの報告もありました。自分の家族が同じ目に遭っても、そのような発言ができるのでしょうか。

全員取り戻すまで戦い続ける。
それが私たちの想いです。

「この国のために頑張ろうと思っていた子どもたちが、あの国の為に使われることになるとは思っていなかった。北朝鮮に行けと言われれば行く。撃たれても刺されても構わない。」と訴えられるお母様の姿に、何としても政治家が頑張らなくては、との思いを更に強くしました。

めぐみさんが好きだった「おぼろ月夜」「みかんの花咲く丘」を皆で歌い、来年のお誕生日にはめぐみさんと一緒にお祝いできる様にしなければとの決意を新たにしました。
決して風化させることなく、国民一致団結して運動を続けていきましょう!
木造建築で林業の再生を
現在建替え工事が進められている歌舞伎座の舞台に、秦野の檜(ひのき)が使われることを御存知でしょうか。丹沢山中で約100年かけて育てられた檜、約1200本が伐採され、現在加工されているところです。舞台の床面に使われる檜は、演者の足腰への衝撃を緩和するために、節のないものを使い、あえてたわむような設計になっているそうです。

このようにブランド価値の高い木材がこの地元から産出され使われることはうれしいことですが、一方で、林業で生計を立てていくことは難しくなってきているのも現実です。豊かな森林資源を守り育て、林業を産業として長期的に育てていくためには「出口」が大事だと考えてきました。

そこで、10月3日の「日の出テレビ」は、木造建築の専門家で東海大学教授の杉本洋文様をお迎えして対談を行いました。杉本教授は東海大学の東日本大震災被災地復興プロジェクト「3.11生活復興支援プロジェクト」をコーディネートされており、私の母校であるICU生とも一緒に活動されていること知り、今回お話を伺わせていただきました。

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先生は震災直後より、木造で被災地に建物を造ることができないか設計に入り、大船渡市と石巻市で「どんぐりハウス」を誕生させました。「総檜」で造られた、この公民館には焼け野原からも芽を出す「どんぐり」の名前が付けられ、今も檜の良い香りがすると言います。更に太陽光パネルとバッテリー、バイオトイレなど環境に優しい先端技術も導入され、リサイクル可能なつくりになりました。

実は杉本教授が被災地での木造建築造りに着手されたのは、今回が初めてではありません。2004年の新潟中越地震の際には震災時の応急住宅 を8棟、しかも小田原の材木で建設されました。雪が積もっても大丈夫な様に、三竹の竹を屋根につける工夫もされていたのです。組み立てに必要な時間は2時間。放送を観て下さっていた方からは「国が作った仮設住宅より快適そう」とのコメントもいただきました。

日本に豊富な森林資源の活用 は応急住宅だけではありません。ヨーロッパでは、介護施設などに木材を使うトレンドが強く出てきています。技術の発達により、耐震性も耐火性も兼ね備えた8階建ての木造ビルの建築も可能になっている、とのこと。

木造の建物が「特別」なものではなく、毎日の生活に溶け込む建物などにも使われる様になれば、出口部分が活性化され、林業の発展に繋がると私は信じ推めていきたいと思っています。









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